戦後の保健所

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 昭和20年、日本が敗戦すると、日本全土が混乱し、国民のほとんどが栄養失調となり、それにより二次的な感染症(結核など)で命を落とす人が増加しました。

昭和20年に、GHQ覚書「公衆衛生に関する件」(伝染病患者の把握、収容等)、「保健所機能拡充・強化に関する件」(保健所の仕事への指示)が相次いで出されました。066.gif

昭和21年(1946)、日本を占領していた連合軍総司令部(GHQ)は日本国憲法を公布し、翌年、施行されました。
国民の生存権の確立などを契機に、公衆衛生は大きな展開を見せることになりました。
憲法の中に、「すべての国民は、「健康」で文化的な 最低限度の生活を営む権利がある・・・」という条文が盛り込まれました。

昭和22年に新しい保健所法で、保健所は健康相談、保健指導のほか、医箏、薬事、食品衛生、環境衛生等、公衆衛生の第一線機関として飛躍的に発展を遂げることになりました。

昭和22年9月に保健所法が全面改正され、保健所は地方の公衆術生の向上及び増進を図るための保健衛生機関となりました。
昭和23年(1948)連合軍総司令部(GHQ)は、さらに、保健医療分野の体制も、改革しました。

GHQの指導監督のもと、東京都杉並保健所は、「モデル保健所」なりました。
この保健所では、母子保健と、結核の対策などが重視されていました。
戦後の荒廃の中で制定された新「保健所法」に基づき設置された杉並保健所当時の映画が見られます。ご覧ください。戦後の米軍画像や日本の社会状況がご覧になれますよ。

戦後の主な衛生関係法令等のあゆみ
昭和21年(1946)日本国憲法公布、衛生行政組織再編成
昭和22年(1947)(新)保健所法、食品衛生法、労働基準法、児童福祉法制定
昭和23年(1948)予防接種法、優生保護法、性病予防法制定
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by nene3123 | 2010-10-20 06:01 | 杉並区
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